どんな病気?

ボツリヌス療法とは?


1. ボツリヌス毒素について
 ボツリヌス菌という細菌を御存知の方も多いと思います.1984年に熊本でカラシレンコンによる集団食中毒が話題になりましたが,その原因となった細菌です.食品がこの細菌に汚染されると,そこで産生された毒素が運動神経から筋肉への情報伝達を低下させ,呼吸をする筋肉を含めた全身の筋肉を麻痺させるというのが一般の食あたりと異なる点です.
 この毒素は自然界に存在する神経毒としては最も作用が強いもので,ベトナム戦争では実際に細菌兵器として用いられたこともあります.一度に大量の毒素が体内に取り込まれると死に至る可能性もあります.
 1970年代からアメリカの眼科医であるScott先生たちによって,この毒素を治療に使おうとする働きが進んできました.アメリカ原住民の毒矢に用いられた植物から麻酔法が発展したように,医学の発展の歴史において自然界の毒素を治療に用いようとする考えは決して珍しいものではありません.治療への応用の方法は,精製したごく少量の毒素をけいれんする筋肉に注入することによって,そのけいれんを抑えようとするものです.その効果は絶大でした.アメリカでは1980年代に臨床試験が進み,1989年末に初めて眼瞼けいれんに対する治療法として認可されました.その後,カナダ・ニュージーランド・イタリアの順にどんどんと認可され,今では世界中で有効な治療法として認められています.
 日本では1980年代後半から臨床試験が始まり,1997年4月に眼瞼けいれんに対しての治療が認可されました.次いで2000年に片側顔面けいれんに対して,2001年に痙性斜頚に対して適応が拡大しています.患者さんも次第に増え,2001年末までに日本全国で約15,000人もの患者さんが,この治療を受けられております.

Blepharospasm2. 眼瞼けいれんとは?
 眼瞼けいれんとは,目のまわりにある目を閉じるためにはたらく筋肉(眼輪筋)が,意思とは関係なくピクピクとけいれんする病気です.はじめはまばたきが増える,光がまぶしく感じるといった症状から始まり,ひどくなると完全に目を閉じたままの状態となります.中年以降に生じることが多く,原因はまだはっきりしていません.これまでは治療として抗けいれん剤などの内服治療を行っていましたが,あまり改善しない方がほとんどでした.気のせいであるとか目の疲れであるとかと診断され,十分な治療を受けられなかったという方も多くみられます.Hemifacial_spasm

3. 片側顔面けいれんとは?
 顔の表情を作るためにはたらく筋肉は,すべて顔面神経という神経がその動きをつかさどっています.片側顔面けいれんとは頭蓋内の血管が片側の顔面神経を圧迫するために生じるもので,顔面表情筋の左右どちらか片側がピクピクとけいれんする病気です.はじめは片側のまぶたのピクつきだけですが,次第に口のまわりにまでけいれんが広がります.中年以降の女性に多い病気です.治療としては血管による顔面神経の圧迫をとる手術(減圧術)で完治できます.この手術は経験豊富な脳外科医であれば決して難しいものではありませんが,脳腫瘍などの悪性疾患ではないため,多くの方は手術を希望されません.抗けいれん剤などの内服治療も用いられて来ましたが,効果は十分とは言えない状況でした.

4. 痙性斜頚とは?
 痙性斜頚とは,首や肩の筋肉が自分の意思に関係なく収縮し,頭部・頚部などが不自然な姿勢を示してしまう病気です.30歳代から50歳代に発症することが多く,10代で発症する例もあります.原因ははっきりしていませんが,脳の中の姿勢を維持するプログラムに何らかの変調を来していることが推測されています.遺伝や薬物などの原因を特定できる場合もありますが,極めてまれです.さまざまな姿勢の変化を生じる可能性がありますが,多いのは頭が横を向く回旋型や頭が横に傾く側屈型です.以前はストレスが原因とされ精神科で治療されることが多く,座禅をしたり滝にうたれたりといった治療の有効性が報告されていた時代もありました.内科的には抗けいれん剤や抗パーキンソン剤などが有効であることがありますが,かなり大量の服薬が必要であることが多く,眠気や口の渇きといった副作用のために治療が中止されることも少なくありませんでした.

ドクター5. ボツリヌス治療とは?
 これらの病気に共通していることは,特定の筋肉が意思とは関係なく収縮しているということです.このように過剰に収縮している筋肉がどの筋肉か容易に同定できる場合には,その筋肉にボツリヌス毒素を注入すると収縮が軽くなります.つまり,眼瞼けいれんではまぶたに,痙性斜頚では首の筋肉にボツリヌス毒素を注射します.効果は注射後2日から5日程度であらわれ始め,通常3ヶ月から4ヶ月持続します.つまり年に3回から4回注射すればよいことになります.
 ボツリヌス毒素は特別な講習や実技セミナーを受けた専門医師しか注射できない仕組みになっています.熟練した医師が最適な注射部位を同定し,適量を適切に注射します.顔面に注射する場合は小児用の皮下注針を用いますので,ほとんど出血もありません.薬の効果には個人差があるため,特に1回目の注射は効果が不十分であったり効き過ぎたりする可能性が高くなります.2回目以降は1回目の状況をふまえ,投与量や投与部位を調節しますので,より効果が上がります.
 副作用としてはアレルギーや皮下出血などがあげられますが,最も頻度が高いのは薬の「効き過ぎ」です.つまり,注射した筋肉の筋力が弱くなりすぎて,目や口が閉じにくくなったり首が重く感じたりすることです.特に目が閉じにくくなると眼球が乾燥し,結膜炎や角膜炎を生じる可能性があります.しかし,目の乾燥症状が出現し始めたらすぐに目薬による治療を開始すれば,ほとんど炎症を起こすことはありません.また,頚部の筋力が弱くなりすぎると頭を支えることが難しくなり,ムチウチ症の時のように首を固定しなければならなくなる可能性があります.いずれの副作用も長くても注射後1ヶ月から2ヶ月で消失します.

6. 産業医科大学病院神経内科における治療状況
 産業医科大学病院神経内科では,1997年の認可の時点からボツリヌス療法を開始しています.2002年末の時点でボツリヌス療法を受けられた患者さんは80人を越え,2003年に入っても患者数は増え続けています.周辺の医療機関の中では最も多くの患者さんを治療しています.
 痙性斜頚に関しては,心療内科も併設している特色を生かして心理学的アプローチも行っております.希望があれば,心療内科医師によるカウンセリングも受けることができます.筋電計や鏡を用いて筋肉の収縮の程度を確認しながら正常な姿勢の練習をするバイオフィードバック法も必要に応じて行っています.
 治療を行ったほとんどの患者さんが「もっと早く来ておけばよかった」と喜ばれています.「人前に出られるようになった」「サングラスをかけなくてもよくなった」「物に当たり散らすことがなくなった」など,生活そのものが改善したという声も多く聞かれます.毒素という言葉の響きから敬遠されていることも多いようですが,世界的にみれば20年を越える治療実績がありますので,効果や安全性は確立しています.内服薬や手術など他の治療法についての相談も受け付けておりますので,いろいろ悩む前に専門医の説明を聞いてみられてはいかがでしょうか?

※眼瞼けいれん,片側顔面けいれん,痙性斜頚の患者さんのためのホームページ(ボツリヌストキシン療法研究会提供)へのリンクはこちら

[担当:神経内科]


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産業医科大学 神経内科学講座

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[文責:産業医科大学神経内科 更新日:2005.04.01]