基礎研究

膵癌におけるヒアルロン酸の臨床的および生物学的役割解析

当研究室では、消化器癌の中でも最も予後の悪い膵癌に注目し、その高い生物学的悪性度の背景にある分子生物学的メカニズムを解明することを目的に研究に励んでいます。特に、細胞外マトリックスとして有名なヒアルロン酸について、膵癌との関係をくわしく調べています。具体的には、現在以下の3つのテーマについて研究しています。

1. 膵癌におけるヒアルロン酸および関連分子の発現解析
2. 膵癌細胞におけるヒアルロンの調節機構および役割の解明
3. ヒアルロン酸をターゲットとした膵癌治療戦略の確立

それぞれについて、研究の背景とこれまでの研究成果について述べます。

1.膵癌におけるヒアルロン酸および関連分子の発現解析

癌の進展には様々な要素が関与しており、癌細胞自身のふるまいに加え、周囲の癌微小環境(tumor microenvironment)が重要な役割を果たしています。癌の間質には様々な細胞(線維芽細胞、炎症細胞など)に加え、細胞外マトリックス(コラーゲン、フィブロネクチン、ラミニン、ヒアルロン酸など)が存在しますが、なかでもヒアルロン酸が癌の進展と深く関わっていることが明らかとなってきました。

ヒアルロン酸は、N-アセチルグルコサミンとグルクロン酸とが交互に結合した巨大な高分子化合物であり、正常の組織では産生と分解のバランスにより一定量に保たれています。一方、癌ではヒアルロン酸が異常に蓄積しており、癌細胞の接着、遊走、増殖、浸潤、および血管新生を促進することが分かっています。

ヒアルロン酸は、合成酵素(HAS1, HAS2, HAS3)によって産生され、分解酵素(おもにHYAL1とHYAL2)によって分解されます。細胞外のヒアルロン酸は、細胞表面に存在するレセプターであるCD44およびReceptor for hyaluronan-mediated motility(RHAMM)と結合し、MAPキナーゼ、PI3Kキナーゼ、Src、あるいはfocal adhesion kinase(FAK)など、細胞内の様々なキナーゼカスケードが活性化されます。この結果、癌細胞の増殖、遊走、浸潤などを促進すると考えられています。

膵癌は、豊富な細胞外マトリックスからなる線維性間質(いわゆるデスモプラジア)を特徴としており、この間質に存在する様々な分子を利用しながら浸潤・転移することが分かっています。しかしながら、これまで膵癌におけるヒアルロン酸の役割についてはほとんど分かっていません。

そこで我々は膵癌におけるヒアルロン酸の発現を免疫組織化学染色にて検討しました。ヒアルロン酸は膵癌の約80%で高発現しており、また発現の強い患者群と弱い患者群の生存期間を比較すると、ヒアルロン酸の発現が強い群で有意に予後が悪いことが明らかとなりました(1)。同時に、膵癌ではヒアルロン酸の産生をつかさどるHAS2の発現が増加していることも示しました。


膵癌組織におけるヒアルロン酸の過剰発現(癌細胞および周囲の間質細胞に強発現)

RHAMMはCD44と同様にヒアルロン酸のレセプターであり、種々の癌において発現上昇や悪性度との関連が報告されています。最近、RHAMMが膵癌で過剰発現しており、その発現は予後と相関していることを報告しました(2)。すなわち、膵癌ではヒアルロン酸の産生のみならず、レセプターの発現増加もみられ、リガンドとレセプターの両者がアクティベートされていることが示唆されました。

癌ではヒアルロン酸の産生のみならず、分解も亢進しており、分解によってできた低分子のヒアルロン酸が癌の浸潤転移に重要な役割を果たしていることが分かってきました。われわれは膵癌におけるヒアルロン酸分解酵素(ヒアルロニダーゼ)の発現を検討し、HYAL1が高発現していることを見いだしました(Kohi et al., manuscript in submission)。また、最近ヒアルロン酸を分解する酵素として新たにKIAA1199/CEMIPが同定されました。現在、膵癌におけるKIAA1199の発現および機能的役割を解析中です。

2.膵癌細胞におけるヒアルロンの調節機構および役割の解明

ヒアルロン酸がどのように膵癌で蓄積し、癌進展に関与しているかのメカニズムについてはほとんど分かっていません。一つの可能性としては、癌細胞自身からのヒアルロン酸産生の増加が考えられます。実際に膵癌細胞の培養上清を調べると、多くの培養株でヒアルロン酸が検出され、その分泌量はHAS2のmRNA発現と相関していました。さらに、われわれは、ヒアルロン酸の産生にDNAメチル化が関与していることを世界に先駆けて報告しました(3)。


DNAメチル化阻害剤(5-aza-dC)による膵癌細胞のヒアルロン酸産生増加

他のメカニズムとしては、間質細胞からのヒアルロン酸産生の亢進が考えられます。実際、癌由来の線維芽細胞の培養上清中のヒアルロン酸濃度は、膵癌細胞株のそれよりも高い傾向にありました。また興味深いことに、膵癌細胞と癌由来の線維芽細胞を共培養(非接触)すると、培養上清中のヒアルロン酸濃度の上昇が認められました(4)。すなわち、癌細胞と線維芽細胞のクロストーク(癌間質相互作用)によってヒアルロン酸の産生が増加することが示唆されました。


膵癌におけるヒアルロン酸産生増加のメカニズム

このように、癌細胞および間質細胞(線維芽細胞など)から産生されたヒアルロン酸は、癌細胞膜上に存在するヒアルロン酸レセプターへの結合を介して細胞増殖、遊走、浸潤、血管新生を促し、また間質に蓄積したヒアルロン酸はバリアとしてはたらき、薬剤耐性に関与していると考えられます。最近、われわれは3つの異なるモデルを用い、ヒアルロン酸が膵癌細胞の遊走能を高める直接的な証拠を示しました(4)。


ヒアルロン酸(高分子、低分子)添加による膵癌の遊走細胞増加(トランスウェルアッセイ)

3.ヒアルロン酸をターゲットとした膵癌治療戦略の確立

膵癌におけるヒアルロン酸の重要な役割を考えると、ヒアルロン酸をターゲットにした治療戦略が考えられます。これには、大まかに3つの治療アプローチが考えられます。すなわち、@ヒアルロン酸産生の阻害、Aヒアルロン酸シグナル伝達の阻害、およびB間質のヒアルロン酸除去、の3つのアプローチです。


ヒアルロン酸をターゲットとした3つの治療アプローチ

まず、ヒアルロン酸の産生を阻害するアプローチについては、ヒアルロン酸合成阻害剤4-メチルウンベリフェロン(4-methylumbelliferone、以下4-MU)があげられます。われわれは、4-MUによるヒアルロン酸の産生阻害が膵癌細胞の遊走能を阻害することを報告しました(4)。4-MUは別名hymecromoneとも呼ばれ、肝機能改善のサプリメントとして、または胆道系の鎮痙剤として数カ国で使用されています。今後、本薬剤は膵癌に対する治療薬として期待されます。

ヒアルロン酸産生に加え、ヒアルロン酸によって惹起されるシグナル伝達経路も治療のターゲットと考えられます。膵癌を含む多くの癌で、ヒアルロン酸-CD44相互作用は腫瘍増殖、生存、遊走、浸潤、多剤耐性、および癌幹細胞自己複製に関与していることより、抗CD44抗体が膵癌に対する有望な治療法として期待されています。

間質におけるヒアルロン酸の蓄積は、腫瘍の間質圧を増加させ、血管を虚脱させ、結果的に薬剤の腫瘍細胞への到達を阻害すると考えられています。したがって、間質のヒアルロン酸を除去することにより薬剤の腫瘍細胞への到達を改善し、化学療法の効果を高めることができる可能性があります。ヒアルロン酸分解酵素製剤であるPEGPH20(pegylated recombinant human hyaluronidase)は、膵癌の動物モデルを用いた実験でジェムザールなどの抗癌剤の抗腫瘍効果を著明に高めることが報告されました。PEGPH20は現在米国で転移性膵癌に対して他の抗癌剤との併用における効果を臨床試験にて評価中であります。

このように、ヒアルロン酸をターゲットとした治療戦略は大変有望であり、今後全く新しい膵癌の治療法開発へつながる可能性があります(5-7)。当研究室では、「From bench to bedside」、すなわち実験室で得られた結果を用いて、患者さんを治療するための新たな方法を開発することを目指して頑張っています。

発表論文

  1. Cheng X. B., Sato N., Kohi S., Yamaguchi K. Prognostic impact of hyaluronan and its regulators in pancreatic ductal adenocarcinoma. PLoS One. 2013;8:e80765.
  2. Cheng X. B., Sato N., Kohi S., Koga A., Hirata K. Receptor for Hyaluronic Acid-Mediated Motility is Associated with Poor Survival in Pancreatic Ductal Adenocarcinoma. J Cancer. 2015;6:1093-8.
  3. Kohi S., Sato N., Cheng X. B., Koga A., Higure A., Hirata K. A novel epigenetic mechanism regulating hyaluronan production in pancreatic cancer cells. Clin Exp Metastasis. 2015.
  4. Cheng X. B., Kohi S., Koga A., Hirata K., Sato N. Hyaluronan stimulates pancreatic cancer cell motility. Oncotarget. 2015.
  5. 佐藤 典宏. ヒアルロン酸をターゲットにした膵癌治療の最前線. 膵臓. 2016.
  6. Sato N., Cheng X. B., Kohi S., Koga A., Hirata K. Targeting hyaluronan for the treatment of pancreatic ductal adenocarcinoma. Acta Pharm Sin B. 2016.
  7. Sato N., Kohi S., Hirata K., Goggins M. The role of hyaluronan in pancreatic cancer biology and therapy: Once again in the spotlight. Cancer Sci. 2016.

研究員の紹介

厚井志郎(大学院生)

「毎日楽しく研究しています。ぜひ、一緒に研究しましょう!佐藤研究室で待っています!!」

古賀敦大(大学院生)

「研究室の諸先生方のご指導の下、楽しく研究しています。トップランナー目指します!?」

佐藤典宏(Norihiro Sato, MD, PhD)(研究室主任)

当研究室では、膵癌の悪性度の基礎をなす分子生物学的背景を明らかにするために、現在は膵癌と癌間質(おもにヒアルロン酸)との関係についての研究をしています。大学院生や海外からの留学生が自由に和気あいあいと研究生活を送っています。研究室のモットーは、「ワクワクする研究をしよう!」です。少人数のラボですが、膵癌に関する新しいエビデンスを世界に発信していきたいと思います。また、全米屈指の膵癌研究センターであるジョンズ・ホプキンス医科大学ともコラボレーションしており、機会があれば留学も可能です。学生の皆さん、是非産業医科大学第1外科に入局し、当研究室で一緒に楽しく研究をしましょう!

略歴

1993年 九州大学医学部卒
2001年 米国ジョンズ・ホプキンス医科大学留学
2006年 九州大学大学院医学研究院腫瘍制御学 助手
2012年 産業医科大学 第1外科 助教
2015年 産業医科大学 第1外科 学内講師 現在に至る

所属学会(研究会):AACR(米国癌学会)、日本癌学会、日本癌治療学会、日本膵臓学会、日本肝胆膵外科学会、日本胆膵・病態生理研究会(世話人)etc.

研究分野:膵癌の分子生物学的解析(遺伝子異常、エピジェネティック異常、マイクロアレイによる網羅的遺伝子発現解析)、癌間質相互作用、癌微小環境、膵癌の治療法開発

代表的な業績
  1. Sato N, Ueki T, Fukushima N, Iacobuzio-Donahue CA, Yeo CJ, Cameron JL, Hruban RH, Goggins M: Aberrant methylation of CpG islands in intraductal papillary mucinous neoplasms of the pancreas. Gastroenterology 123:365-372, 2002
  2. Sato N, Fukushima N, Maehara N, Matsubayashi H, Koopmann J, Su GH, Hruban RH, Goggins M: SPARC/osteonectin is a frequent target for aberrant methylation in pancreatic adenocarcinoma and a mediator of tumor-stromal interactions. Oncogene 22:5021-5030, 2003
  3. Sato N, Fukushima N, Maitra A, Matsubayashi H, Yeo CJ, Cameron JL, Hruban RH, Goggins M: Discovery of novel targets for aberrant methylation in pancreatic carcinoma using high-throughput microarrays. Cancer Res 63:3735-3742, 2003
  4. Sato N, Maehara N, Su GH, Goggins M: Effects of 5-aza-2'-deoxycytidine on matrix metalloproteinase expression and pancreatic cancer cell invasiveness. J Natl Cancer Inst 95:327-330, 2003
  5. Sato N, Maitra A, Fukushima N, van Heek NT, Matsubayashi H, Iacobuzio-Donahue CA, Rosty C, Goggins M: Frequent hypomethylation of multiple genes overexpressed in pancreatic ductal adenocarcinoma. Cancer Res 63:4158-4166, 2003
  6. Sato N, Fukushima N, Maitra A, Iacobuzio-Donahue CA, van Heek NT, Cameron JL, Yeo CJ, Hruban RH, Goggins M: Gene expression profiling identifies genes associated with invasive intraductal papillary mucinous neoplasms of the pancreas. Am J Pathol 164:903-914, 2004
  7. Sato N, Maehara N, Goggins M: Gene expression profiling of tumor-stromal interactions between pancreatic cancer cells and stromal fibroblasts. Cancer Res 64:6950-6956, 2004
  8. Sato N, Fukushima N, Chang R, Matsubayashi H, Goggins M: Differential and epigenetic gene expression profiling identifies frequent disruption of the RELN pathway in pancreatic cancers. Gastroenterology 130:548-565, 2006
  9. Sato N, Goggins M: The role of epigenetic alterations in pancreatic cancer. J Hepatobiliary Pancreat Surg 13:286-295, 2006
  10. Sato N, Fukushima N, Hruban RH, Goggins M: CpG island methylation profile of pancreatic intraepithelial neoplasia. Mod Pathol 21:238-244, 2008
文責:第1外科学教室 更新日:2016年05月18日