国際交流便り(第2号) - 2013年7月16日配信
ミクロネシア ポンペイ(生活編)
ポンペイ(旧称ポナペ)は、日本から南南東に3,700キロ、赤道に近い太平洋上に浮かぶ周囲80キロの島、ミクロネシア連邦(ヤップ、チューク、コスラエ、ポンペイ)の1州で首都パリキールがあります。日本との時差は2時間。いたるところにハイビスカスなどいろいろな種類の花がみられるため、ミクロネシアの花園と呼ばれています。
降水量が多く、世界最高を記録したこともありますが、貯水池がないため水不足に悩むこともあります。経済力が弱いため、インフラ設備など大型投資を外国資本に依存しており、日本もポンペイ国際空港のインフラ及びJICAなどの人的援助に貢献しています。ミクロネシア全体の人口は、約11万人、このうちポンペイに3.5万人が住んでいます。ちなみにJICAボランテイアはミクロネシアに28名、全世界に約2,200名が派遣されています。
また、この地は太平洋戦争で多くの人々が亡くなったところでもあります。先日、JICAの同僚と島のシンボル、ソケース山にいって無名戦士の慰霊碑の草取りをしてきました。この山にはいまも機関砲や対空砲火砲などがジャングルのなかから空をにらんでいます。
平均温度は27度、日中は30度を超えますが、朝方は毛布がないと寒く感じます。JICA関係者は、ポンペイは非常に住みやすいと言っています。人々は親切で、盗難・犯罪もなく、蚊もいないため伝染病もない(以前、デング熱やコレラが流行したこともありますが今は全くありません)、バナナ、タロイモ、魚などのローカルフードと米(オーストラリア産)を除いて物価は高いが、日常用品など一応のものは揃っています。
これまで私が生活面で困ったことは、欲を言えばきりがないけれど、新鮮な野菜が少なく値段が高い(キャベツ1個が5ドル)ことぐらいで、水も水道水を沸かせば問題ないし、蚊も平地や家の周りにはいない。夕方、ベランダに椅子をだして涼しい風をうけながらコーヒー片手に本を読むのが楽しみのひとつです。天気のいい夜は、南十字星が見られます。
私は生活のリズムを非常に大切にします。この病院に勤めてさらにその気持ちを強くしました。絶対病院にかからないため、規則正しいリズムをつくるため、5時帰宅後、1時間はショッピングを兼ねて歩きます。週末約3時間、日中暑い時に歩きます。現地の人達も出歩かないこの時間は、体が消耗するから負荷がかかっていいと勝手に思っています。走ると犬が追っかけてくるので専ら歩くことに専念しています。
先日は犬に噛まれました、狂犬病はないのですが、破傷風の恐れがあったので病院にかかってしましました。この地では、犬はペットではなくフードです。カマテップというお祭りの時などに出されるときがあります。ごちそうは豚です、その場で捌いて丸焼きにします。男たちはサカワというコショウ科の植物の根を石でたたいてすりつぶした鎮静作用のある飲み物をよく飲みます。
ミクロネシア全体に言えることですが、人々の健康状態は余りよくありません。生活習慣からくる肥満、高血圧、糖尿病、心筋梗塞、ガン、腎疾患などのため、平均寿命は69歳、毎日のように葬式があります。葬式は4日間続きます。家の敷地内に土葬するならわしです。多くの家は、パンの木、やしやバナナに囲まれた林や森のなかのコンクリート造りの建物で、電気をあまり使わないためか部屋は暗く、敷地内に犬や豚を飼っている、子供たちが木登りやハンモックで遊んでいる光景をよく目にします。
生活習慣といえば、この国の地域ごとにナンマルキという酋長制度が残っていて、絶対的権力を握っています。行政もなにかを実施するときには、先ずナンマルキにお願いに行かなければなません。古い制度ですが、人々はこの長老を非常に尊敬しています。あたかも、半世紀前の日本の社会をみているような錯覚を感じる時があります。
人々は大きな声で笑い、いつも口の中に何か入れてお行儀の悪いマナーですが、どこかで見たような人に出会うこともあります。
近代化、自立、独自の文化の継承というさまざまな問題を抱えていますが、大柄な彼らの姿を見ていると、このような問題は小さい小さいと言っているようにも見えます。彼らのたくましさを感じます。次回は勤務先や仕事内容についてお話ししたいと思います。
2013年7月
JICAシニアボランテイア 大藤 哲生