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令和6年度 卒業式が3月4日に挙行されました

 令和6年度卒業式 が3月4日(火)10時から挙行されました。

 学長式辞は、以下のとおりです。


令和6年度 卒業式 式辞

 ご卒業おめでとうございます ―皆さんの輝かしい未来への門出に―

 学長  上田 陽一

 本日、産業医科大学を巣立つ皆さん、ご卒業おめでとうございます。教職員を代表しまして心から皆さんのご卒業をお慶び申し上げます。この日を待ち望んでおられた保護者の皆様、後援会の皆様、そして関係者の皆様に心よりお祝い申し上げます。

 この度、皆さんは医学部においては42回目、産業保健学部看護学科では4年制に改組後26回目、環境マネジメント学科から改称後の産業衛生科学科では2回目の卒業生となります。そして、卒業と同時に医学部同窓会の龍ヶ池会、産業保健学部同窓会の欅風会の一員になります。

令和7年(2025年)、今年の干支は乙巳(きのとみ)、これまでの努力が実を結び開花する時期を迎える年だそうです。皆さんの日々のたゆまない努力が本日結実の時を迎えました。学生から社会人へと脱皮・成長する門出に相応しい干支の年でもあります。

 皆さんが学生として過ごした日々は、決して平坦な道のりではありませんでした。北九州市では、2020年3月1日に新型コロナウイルス感染症患者が確認されて以来、本学の卒業式や入学式などの行事は厳重に制限され、学生は毎朝体温などの健康チェックを行い、学生講義や実習の多くはオンライン実施に変更となりました。体育会・文化会などの課外活動も厳しく制限され、九州山口地区医科学生体育大会、西日本医科学生体育大会などの体外試合や音楽系サークルの定期コンサートなども中止が相次ぎ、全国的にも何度も緊急事態宣言やまん延防止等重点措置などが発出されて不安な日々を過ごすことになりました。

 新型コロナウイルス感染症が一昨年の5月8日に感染症法上2類相当から5類に移行し、現在、日常生活がコロナパンデミック前にもどりつつあります。数々の制限に耐えつつ、仲間と励まし合いながら、卒業までの道のりを一歩一歩進められた皆さんへ心より敬意を表します。

  昨年11月には医生祭がフルスケールで開催されました。医生祭は、医学部と産業保健学部の皆さんが協働で一つの目標に向かい大学全体が一体となる貴重な機会です。昨年の医生祭のテーマは“威風祭”、エドワード・エルガー作曲の行進曲「威風堂々」を想起させます。私が本学学生実行委員だった医生祭のテーマは“真っ白なカンバスに何を描くか”でした。皆さんが入学した時の真っ白なカンバスはいま一人ひとり思い出でいっぱいのことでしょう。

 東京オリンピック・パラリンピック2020は1年延期の末、いろいろと制限の多い大会でした。昨年のパリオリンピック・パラリンピック2024では、日本選手の活躍に大いに興奮しました。特に、体操日本団体の逆転金メダルでは“あきらめない”ことの大切さを学びました。ここに産業医科大学病院のモットーとする“治療と働くことをあきらめない”を勇気づけられた思いでした。

 さて、皆さんは、これから医師、産業医、看護師、保健師、作業環境測定士、衛生管理者などの国家資格を取得します。医師、看護師、保健師の国家試験合格率において好成績が続いているのは、教職員のきめ細かな指導・支援のもと何よりも皆さんの日々の努力の賜物です。産業衛生科学科の卒業生においては産業医大認定ハイジニスト制度が昨年度の卒業生より適用され、職場での化学物質管理専門家としての活躍が期待されています。皆さんには、それぞれの分野のプロフェッショナルであることの自覚を持って産業社会からの熱い期待に応えて活躍してほしいと願っています。

 初代学長の土屋健三郎先生は、 “産業医科大学は人間愛に徹し、生涯にわたって哲学する医師・医療従事者を養成する”と本学の建学の精神をこの言葉に凝集しました。1992年3月の最終講義の結びに “我々は、機械に使われることのない自由な人間社会を形成し、すべての人々や生きとし生けるものを尊愛するヒューマニティーを育て、それによる人間性の回復を軸としてOccupational HealthEnvironmental HealthさらにCommunity Healthの有機的な結合を図り、我が国すべての労働者が健康を享受する環境を整備し、激変する産業構造や産業生態に適正に対応すると共に、国際的視野にたって全人類の福祉に全力をあげて奉仕すべきである。”と述べられました。この精神は現在も受け継がれ、長く続いたコロナパンデミックのため停滞していた国際交流事業も昨年来、活発になり、学生や研究者の国際交流が再開し、産業生態科学研究所が産業保健分野におけるWHO指定協力機関を更新し、ILOやアジア諸国を中心とした数多くの大学等と基本合意書(MOU)を締結しています。昨年末には「産業医学の父」ベルナルディーノ・ラマツィーニ医師が著書「働く人の病」を出版した1700年に教授に就任したイタリアの名門校パドヴァ大学とMOUを締結することができました。パドヴァ大学では、ガリレオ・ガリレイなどの著名な学者が教鞭をとったことや近代解剖学・病理学を確立した大学としても有名であります。 

産業医科大学は、開学60周年を迎える2040年の本学の到達点として「産業医大未来構想2040」を策定し、“働く人々の命としあわせをまもるオンリーワンの大学”としてこれからも発展し続けることを目標に掲げています。なお、新年度が始まる41日には、学校法人産業医科大学開学50周年記念事業室が設置され、3年後の令和102028)年に本学開学50周年を迎える準備が始まります。

産業医学臨床センターおよび両立支援室を擁する急性期診療棟が一昨年8月に完成し、北九州医療圏唯一の特定機能病院として高度急性期診療を抜本的に強化しました。これを契機として“UOEH ReBORN 産業医科大学キャンパスマスタープラン2023〜さらなる飛躍を目指して〜”が策定され、新たなステージへ向かって力強く始動しました。

産業医科大学で共に学び、ここで出会った仲間たちは高い志を同じくする生涯の同志であり、そして母校はいつまでも皆さんの母校であり、皆さんを見守り全力で応援し続けます。皆さんは、医学部医学科、産業保健学部看護学科・産業衛生科学科という異なる学科を卒業するのではなく産業医科大学の卒業生となるのです。お互いに協働して産業医科大学の設立目的を成し遂げていただきたいと願います。

皆さんが、卒業生として元気に活躍し、ひかり輝くことは産業医科大学を元気にします。産業医科大学が元気であれば卒業生もきっと元気になると信じて私たちも一生懸命に大学の発展に努力します。

皆さんが輝かしい未来に旅立つという今日という門出の日にこうしてお祝いすることができるのはこの上ない喜びです。在学中に培われた高い志と経験、人との絆は必ず将来の財産になることを添えて、皆さんへの餞(はなむけ)の言葉にしたいと思います。

ご卒業おめでとうございます!